浅井忠と佐倉 太田治子「夢さめみれば」

浅井忠は、明治期の黒田清輝と並ぶ、日本近代洋画の父と呼ばれている人です。
名前は「ちゅう」と読みます。最初は「荒井注」さんと似ている名前で、けらけら笑っていました。

黒田清輝の外光派に対し、旧派なんて呼ばれるなどちょっと地味な人ですが、日本の農村や働く人たちをそれは美しく、嫌味なく描いた人です。

最近、太田治子さんがこの人の評伝(「夢さめみれば」朝日新聞社出版 → http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13396
をまとめたので、三連休はこの評伝を、気になる情報はiPadで検索しながら・・・早い話が寝転びながら読んでおりました。

以下、研究発表?です。

この人は、幕末の佐倉藩士の家の出身で、年齢は「坂の上の雲」の主人公の秋山兄より3つ上というと、多少イメージがはっきりしてくるかもしれません。

佐倉藩には「一術免許」という、家督を継ぐ子が学問や武術で一つ免許を持っていれば、歩引き(相続減)をされない制度があったそうです。この文武奨励の精神は現代の千葉県佐倉市にも引き継がれているそうです。資格を取れば給料が下がらない・・・というのは、最強のモチベーションですよね。

詳細は、佐倉市のHPをこちらをご参照ください。→http://www.city.sakura.lg.jp/0000003142.html

ちなみに幕末佐倉藩の藩主は教科書や歴史物にはレギュラーでもある堀田正睦です。
佐倉に招かれた順天堂の創始者の息子が、新撰組ファンならご存知の松本良順さんと、日英同盟に奔走した林菫なんだそうです。もう、びっくり!

おまけに、津田塾の創始者の津田梅子さんも佐倉の士族出身。

確かに幕藩体制は腐っていたかもしれないけれど、人まで腐っていたわけではないのだと思った次第です。

佐倉も良い町ですが、浅井忠さんの絵もまた、とても素敵な絵です。
機会がありましたら、会いにいってみてください。

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